山田の家族と  トライアスロンと

わたくし山田の家族と趣味の事を

能登半島地震の震災を受けて思う事(同県民として)

 

 

山田です。

 

 

皆さんご存知の通り元日の16:10頃能登地方で震度7後半の地震が発生し、我が石川県の北地域は壊滅的な被害を受けました。

 

私の第二の故郷である珠洲地方も例外ではなく、多くの建物が倒壊、インフラも壊滅的な状況です。

 

私の友人も同地域出身者が居り非常に大変な思いをしたし、今もまだ苦悩が続いている事かと思います。

 

私が住む金沢市内から能登の方へと向かう主要道に「能登里山街道」があり、毎年レースや祭り、旅行へ行くときはこの道を利用しています。

震災が起こりまずこの道は当然的に交通規制がかかり自衛隊車両やインフラ特化、廃材運搬と物資搬入関連といった災害対策必須車両だけが通行を許可されている状況だったのですが、15日(月)より一部規制が緩和されたらしく本日17日に仕事で羽咋市に行くため千里浜まで里山街道を利用しました。

 

自衛隊車両は当然ながら警察車両の多さに驚きました。

「警視庁」と表記のある車両が多く、自衛隊車両も「第10師団」だけでなくさまざまな師団表記の車両も沢山見られました。

 

遠方から沢山の隊員が支援に来てくれているんだと、ありがとう、ありがとう。

と言う思いでいっぱいです。

 

実際に被災された方から話を日常的に聞くのですが道路の寸断等により「孤立集落」が数多く存在し物資が届きにくい状況。

食料は備蓄のもので耐え忍ぶが「水」が無いのです。

今日里山街道でも多くの給水車を見たけど行き渡る所とそうで無い所の差が現地でも激しいみたいです。

 

車両が入っていけない(車両で物資運搬が出来ない)所は自衛隊員が何十キロもの物資を担いで道なき道を歩いて届けてくれています。

まさに日本国の守護者!

頭が下がります。

本当にありがとうございます!!

 

 

年始。

「明けましておめでとうございます」

とは会う人会う人に言えませんでした。

言うにしても恐る恐るです。

それほど能登地方出身者や親戚が同地方出身の人が周りに多くいます。

 

そして同じ県に住んでいながら状況がこんなに違う事に常に気後れしてしまうのです。

金沢市の大部分は地震の影響があまり無かった所が多かったからです。

 

 

元旦の夕方あたり。今から風呂でもゆっくり入って、集まった親戚と、頑張って作ったお節料理を食べながら楽しく語らおうとしていた矢先、地震が起こり津波警報が出て避難所へ。

多くの場所が水に浸かり、帰る家も潰れてしまった。

逃げ遅れた人は家の下敷きになって亡くなった人も居て。

 

 

神はいないのか!

私たちが一体何をしたと言うんだ!?

死ぬ必要が無い人が沢山死んで、まだ見つかってない人もいるんだ。

 

 

本当にやるせない気持ちになるのです。

だって地震が起こるのは誰のせいでも無いから。

 

 

先日いつも行くスーパーで娘と一緒に募金箱に募金をしました。

いつもは入れない金額を入れました。

衝動的でした。

次の日、妻に習いネットでも募金をしました。

 

 

物事を片付けたり、ならしたり、届けたり、作ったりするには全部お金が掛かります。

資金は多いに越したことはありません。

この先も私は色々な形で能登地方を支援しようと思うでしょう。

 

皆さんもどうか、どうか、どこかで募金箱を見ましたら1円でも良いので募金してほしい。

そんな気持ちでいっぱいです。

 

 

私たちは能登地方と言う美しい地域を諦めたくは無いのです。